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AS、ADHD、自閉症スペのアドバイスや愚痴を書いてます。

説明が下手ならマネをする

私は説明が苦手なんです。前回にも書いたように実の親にさえ説明ができない状況です。

 

多分『第3者視点の意見口調』しか出来ないし、その上で後の話の返しが想像できない『想像力の欠如』のせいだろうと思ってます。

第3者視点は文献や相手の話の受け売りです。

 

そんな説明下手な私が結構通じたのは

『相手の動作を事細かに真似て説明する』

ということでした。

人によってはおちょくっているととられるかもしれませんが、発達の私がいちいちうまいこと言おうとか気を使うよりかはこの方が通じます。

 

この前、母が姿勢が悪かったので

『お母さんの歩き方ってこうだよね〜』と形態模写をしてみせました。

すると『え?!私そんな歩き方してるの?誰も教えてくれなかった』とビックリしていました。

 

おそらくいつもの私なら『おばあちゃんっぽい歩き方だね』『がにまただね』『不機嫌なの?』と私なりに気を遣った言い方を言っていたと思います。(嫌味にとられるらしいが)

 

人っていうのは意外と自分が見えてないもんで、例えられても自分の中のイメージと一致しなかった場合に怒りが湧くそうです。

 

私の場合そういう『おばあちゃんっぽい』と言われる方が多分わかりやすいんですけど、(想像力の欠如の脳疾患なので)定型は『おばあちゃん=年老いた女性に見えた』という怒りに変わりやすいんだとか。

 

私は定型を買い被っている部分があるし(理解力が自分より強いと思っている)、説明を短くしようとします。だけど、定型は動作の説明が事細かでないと話を理解できないと最近知りました。

 

意外と定型は省略して話すわりに、『今から悩みを聞いてほしいんだけど』のような前置きが必要になります。私の場合は悩みを相談したいかは相手の話す内容で『悩みなんだろうな』と考えて聞いていました。

 

説明がよっぽど上手くない限り、記憶をそのまま定型相手には伝えた方がいいです。発達も少しくらい説明が上手くないと相手と話せませんから。

 

私も相手と自分が同じ価値観で同じ感情で生きていると思いすぎていた部分があり、それがますます説明が下手になっていた原因だと思います。

 

説明をしなければいけない理由は、価値観は人それぞれであり、話さないと伝わらないからです。

 

なるべく『普通はこうだ』といわず『私はこう思うだから●●したい』と相手に言おうと思い直しました。

 

 

うんでもなきゃすんでもない

私はよく『何を考えているかわからない子』

『自己主張をしない子』と友達にも親にも言われていました。

 

最近それが親の影響だということがわかりました。

 

私の母と祖父母は外では人当たり良く話すほうなのですが、家に帰ると何も言わない人達でした。感情を主張しない人でした。

正確にいうと初めのうちはそういった教育方針でいたそうですが、効果がないとわかるとすぐに辞めてしまうような感じでした。

 

おまけに約束を守れなかった場合でも可哀想だからとプレゼントを与えてしまう感じでした。

そして私がお手伝いをやると自分がやったほうがはやいとやってしまうのです。

おかげでいつでももらえると思った私にとって、労働の対価をいくら示されても労働の意味を見出せませんでした。

 

当時の私は『トロトロしているから嫌われているんだな』とか『クリスマスに物をあげて、普段優しくしない事を帳消しにしようとしているんだな。ずるいなー』と話せないながらも思っていただけでした。

親の親切心なんて全然通じなかったんです。

いつかは出来ると思って、やってあげたら背中を見て育つと思っていたそうです。

 

残念ながら私は『相手がやりたいんだし、私がわざわざやらなくてもいいな』と思っていました。

 

あと当時何故か褒められるのが嫌でした。

何故か思い出してみると、普段から嫌味しか言わない相手から褒められても嘘臭かったからです。

『●●ちゃんは出来ているのに』

『私が死んだらどうするの』

『クラスメイトは帰ったらあんたの事を噂してるよ』

『バカなこと言うなら話すな』

『そんなガキ臭いところ行きたくない1人でいけ』

そんなこと言う人が

『宿題やってるの、偉いね〜』と言ったりしてもゾッとしかしない感じでした。

 

とにかく相手の途中で切る話し方が苦手でした。まだ何も教えて貰ってないし、友達もいない私は疑問や質問をされても答えられる情報もなく、なんとか答えても相手の尋問口調を真似て反感を買うだけなのです。

 

『傷ついた』と一言言えたら良かったのですが、バカな私は『私のこと嫌いなの?』といっていました。そういったら相手も自分自身の非礼に気付いて態度を改めると思ったからです。

結果はダメでした。ますます相手の火に油を注ぎ爆発させました。

 

私は何も教わっていませんがそのことは相手には伝わっておらず、なぜか口の達者な子、反抗的な子として見られていました。

 

何度かそのことについて言いました。『あなた達がそういう態度をしているから、私もそうしている』とでも仕返しをしているととられました。

 

ごめんなさいという言葉を求められましたが、相手も負けず劣らず謝らない人達でした。

相手は事あるごとに謝って欲しかったようですが、子供としてはどこで謝ればいいかもわかりません。

 

一人っ子や片親だけが原因ではないと思います。人が変われば全てが違います。

 

おかげで他の家に行って人と接するとどうしていいかわかりません。

 

優しいといえば優しい私の家族は私の自主性はあまり育ててくれなかったようです。

できればできるまで放っておいてほしかった。

その上で出来たら褒めてほしかった。

私のたりないところこそ、指摘して直るように指導してほしかった。

 

おそらく普通の子なら自主的に学校で学べるかもしれませんが、私は学ばなかったので。

 

発達的学習法

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▲読み上げくん

文字を目で追うのが困難、文章だと覚えづらい人は読み上げくんに文章を読んでもらうと記憶しやすいです。9人の声優さんが収録しているのでとても聴き取りやすいです。言い間違いが面白いです(笑)文字制限があります。

 

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OCR

自分で書いた字、雑誌や本などの文字だけ抽出してくれます。読み上げ君に読んでもらうとさらに使えます。

 

ロールプレイングが効果的

とりあえず五十六さんの言うように、話してみる行ってみるやってみる。

繰り返し復唱する!

実際、会話の掛け合いをロールプレイングを口に出して話してみたら結構頭に入ってきました!

 

文字タイプは文字を書いたらより効果的かもしれません。 

音声思考の発達の苦悩

わかってきたことがあります。

私は音声思考と視覚思考型の自閉症スペクトラムだということです。

 

相手の質問、疑問、確認に答えられないのは昔から悩みでした。それは理解力が劣っていたり、相手の声を聞き取るのが困難なせいだと思っていました。

 

母や他の人から質問をされた時、私はいつも自分が考えた事も消えてしまい、相手の話と元の自分の話の関連性がわからなくなる事がほとんどでした。

運良く答えられているように見える時は、相手の話を理解できているわけではなく自分の興味のある単語が相手の話の中に入っていて、考えの多動が起きて妄想を口に出しているに過ぎないようです。

 

私はもともとシングルタスク(一つのことしか考えられない)の脳みそです。

だからこだわりがあるというより、相手が私がした話にわかったと言わないかぎり、次の話に移られても理解したかどうか認識できなかったのです。

 

音声思考の私の頭の中にはいつも音が飛び交っています。だからその音声を出しているにすぎなく、相手が質問をしたとしても答えられなかったんですね。

 

しかも音は音によって搔き消えるので、私は言い返す事すらできなかったのです。

 

たまに、相手が話しているのか私が話しているのか理解できなくなる事がよくありました。

それは感覚としてあっても、私は相手に説明することができませんでした。今日ようやく説明したことによって定型の母にも私の苦悩がわかってもらえました。

 

音に気が散るのではないんです。

音が同時に同じボリュームで聞こえるんです。

それは文書にたとえてみると、ハリーポッターの本と政治の本が合体した本を読まさせられている気分です。

 

定型の母いわく、相手と話している時も文章が脳にうかぶので相手が何かを言ったとしても言い返す事ができたり、矛盾点を指摘できるんだそうです。

 

私は視覚思考タイプなので、相手に私の説明がわからなくなってしまうと思い、今まで上手く私の状況を言い表していると思える文章を読んで聞かせたり、暗記して話すなどしていました。

 

だけど大抵相手に自分の言いたかったポイントは伝わりませんでした。

 

私が視覚思考や聴覚思考の感覚をありのまま、事細かに話した時にわかってもらえました。

意外と私は説明が下手なわけではないようです。

 

というか、定型は人の受け売りより自分の感覚を伝えるほうが伝わるんですね。

 

それは本の受け売り真似事では身につかないし、一回一回頑張って話す事でしか理解してもらえないでしょう。

 

事業所でこの前気づいた事ですが、事業所の偉い男の人が隣の部屋で作業をしていて、私はいつも隣の部屋のおしゃべりな女の人と話していると思っていました。

ところが、調子のいい時に話を聞くと、偉い男の人は別の人と話していてしかも後ろを向いている、おしゃべりな女の人は別の人と話してるということがわかりビックリしました。

 

全部の音が混ざり合いわからなくなってしまっていたのです。

 

当事者会でもそうでした。

私と同じような当事者の方が来ているのですが、あちらこちらでバラバラな話が始まると全ての話し声が聞こえてしまい、私が話しているのか別の人が話しているのか途中でわからなくなって毎度話をすることができなくなりました。

それは他の人も同じなのかより大きい声で話そうとするのです。

 

ちなみに母は普通のボリュームに聞こえていたそうです。

 

つまり脳の音の調節機能に問題があるのです。

定型の方は自動的に脳が聞きたい音に焦点をあてて、その音だけを拾い、他の音はぼやかす事ができるのです。

私にはそれがなく、非常にうるさく聞こえます。

 

今までは相手もその環境だけど頑張ってきこうとしていると思っていました。

でもそうではなかったんですね。

 

音声思考と聴覚過敏はとても相性が悪いようで、私はこのおかげで会話力がつかなかったんです。

 

それだけではなく、未来を保証できないことなども質疑応答ができません。

 

私って本当に障害者だったんだなぁーと今回改めて自覚しました。

それまでは相手が言い張るように『もしかして自分の努力が足りないのでは?』と思っていたんですけれど、そうではなかった。

 

脳のボリューム調節機能だけは努力できませんしね。

 

昨日大揉めに揉めて障害者施設に収容してくれるようお願いしたのでこれ以上母を責めなくて済みそうです。

 

なぜ発達が責めた口調になるのか?といわれたら聴覚過敏なところがあるから、相手もそのくらいの尋問口調で話しているように聞こえるからです。

 

今のところこの解決法は耳栓、筆談しか思いつけませんが。まあ新たな一歩前進ということで。良かったです。

ダイエット日記

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なんだろう。この振り幅。

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スープダイエットは痩せると聞いたんですが、50kg台になるのにこんなにリバウンドしまくりました。

 

今回は間食もほぼしていないし頑張っているよ👍

 

先月

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 あれ??

 

予定ではもう55kgだったんだけど。

でも嬉しい٩( ᐛ )و

 

 きっと純粋なスープダイエットしてなかっただけなんですね

 

 

この前あった雹で私の部屋はめちゃくちゃになっていた。

今日母は派遣会社の集まりで食事会なので、あんたは家で部屋の片づけをするようにとlineが入った。私は何日か前の日記にも書いたように『好き嫌いの話がニガテ』な部分が辛くなって、今日は休んでいた。連絡も出来ないので母に代わりに電話連絡を頼む。

私は他の人の目から見たらおそらく頑張っていないように見えて、自分の中ではいっぱいいっぱい頑張っている。お風呂に入ると目が覚めてしまうと感じたら風呂をなるべく入らないで布団の中に入っていたし、九時に布団にも入っていた。睡眠不足が私の特性である被害妄想を加速させる原因にもなっている。だけど優先順位を変えたにも関わらず、睡眠不足は治ることはなかった。

 

元彼の家でも顕著だった。元彼と私の寝る空間は一部屋しかなかったので、彼が夜更かしをすると眠れなくなった。どんなに彼が消音設定にしてスマホをしても私は微弱な音を拾ってしまいイライラしてしまう。それだけでなく私は彼に恋人としての時間を求めていたのだけど、彼はそれが嫌だったのか優先順位を同じようにつけられない人だったのか夜3時くらいまで布団の中で待たされる日が続くようになった。

私は毎日『構ってくれ』と言ったけれどそのたびに相手に怒られた。

やんわりと『睡眠不足は体に悪いよ』と言っても年上だったせいなのか上から目線で『自分の一番合っている睡眠時間だし自分は寝れなくても起きられる。言いがかりはよせ。自分で寝たらいい。だいたいお前は途中で寝ているしその間俺はスマホでゲームをしている。その時にお前は起きないよ』という事を言われてしまった。

今思うと思いやりのかけらもなく無茶苦茶な事だったがその当時は納得してしまった。

そこから私の睡眠不足の悩みには『彼とうまく行かない』という悩みもオンされてしまった。ますます睡眠不足が加速し、まったく寝ないで仕事に行く日々が続いた。

 

今年の2月彼の部屋を出て、家に戻ってまた5月に戻ろうとした時もそのままダメになって二度と会わなくなって7月になっても私は相変わらず睡眠不足だった。

昨日改めて定型の思考の違いを認識したのだけれど、明らかに不眠症と言われる症状に該当していても定型(特にバブル世代あたり?)は『若い頃はやんちゃできた』『起きていられた』『体力が続いた』的な思い出になっている事だった。

母はコーヒーを飲んで次の日の午前3時まで時間をつぶしていた。会社があるとその時間しか時間がなかったからである。だけど冷静に考えてみたらちゃんと寝て朝起きれば何もそんな時間に遊ばなくても時間はあると思うが。そういえば母にもよく怒られた。

煙草もよく吸う人で『頼むから吸わないでくれ』と言ったがやめてもらえなかった。

母の言い分も『これだけが私の楽しみだから』だった。

 

母は不倫で出来た恋人からの説教は聞いたけれど、私の言い分は一切聞いてくれなかった。多分私は発達(今も信じていないが)だからなのと理屈っぽくしつこかったせいだと思う。私は真剣になった人にほどそうなってしまう。

やっと31歳(もうすぐで32歳)になった今、『わからない人は突き放すしかない』という事がだんだんわかってきた。というより私の説得力ではそうするしかない。

煙草を吸う人も睡眠不足の人もやめてと言われてやめられたら困っていないのだ。

 

私は昔から説得力がない。だから頭の中で色んな説得を考えた。

だけどメモの話と同じように、説得を頑張っていない時の方がまだ説得力があるみたいである。一種の諦めの感情を持つことが定型との考えにおいて大事なのだ。

そんなことを散らかった部屋を見ながら考えた。被災した部屋のようになっている。

お雛様も収納してある部屋だ。お雛様がどうなっているかと考えただけで頭が痛い。

 

読もうと思っていた数々の本、本、本の山。友達のいない私にとって本とは扉だった。

友達だった。お気に入りの本が常に200冊以上あって暇さえあれば読んでいた。アマゾンでマーケットプレイスで1円で手に入れた本もたくさんあって読んでいないものもかなりあった。

この本をもっと読みこんでいたら、この本がもっと自分にとって有益なものだったら私はもっとましな発達障害だっただろうか?私は毎日休まずいろんなサイトを見て本を読んで時間を惜しんでいる。だけど初めてコンビニエンスストアに行けた時やレストランに行けた時の衝撃には勝てない。

本は誰にとっても友達だけど、本当に人間関係と同じで『きっかけ』に過ぎない。

コンビニエンスストアの存在を私は知っていたし、テレビでも『深夜にコンビニを徘徊してつい買ってしまう』と楽しそうに語る人がいるのも知っていた。

だけど本を買うお金もなくなってしまうし、今よりも対人恐怖症視線恐怖症赤面症だった私はコンビニに行くより本屋に行くことの方が大事だった。

 

私は好き嫌いなく本を読んでいた。同時に好き嫌いなく食事も食べていた。

どちらも楽しんでいたけれど、好き嫌いを出した途端に私の世界はこの家の中で終わってしまうし、食事で好き嫌いをしなければ色んな場所に口で世界旅行ができる。

私は昔から旅行の本が好きだった。とりわけ貧乏旅行の本が好きだった。

12万円で世界一周する人の本が好きでよく読んでいた。

 

だけどその人も世の中の人も、食べ物の好き嫌いもあってそれでも世界旅行に出かけていた。私は好き嫌いをなくしたが多くの有益な体験をサボってしまった。精神が不安定だったからしょうがなかったし、仕事もできるほど達者な発達でもなかったので仕方がないといえばしかたがないが(資本がない)。

 

でも世の中にはよく目を凝らしてみてみると『この人は明らかに発達のケがある』という人がいて、それはスーパー発達なんだけど障害がいい方向にマッチして成功している隠れ発達もたくさんいる事が今ではわかった。

昔はADHDのケが酷かったためか、本を読むだけで連想妄想してしまい読書するだけでも被害妄想というか落ち着かず『純粋に読書』というものができなかったのでわからなかった。

 

そういう人たちは旅をしたり、実際に友達を作ったり、仕事をしていい経験を積んでいる。私は昔本を読むことで賢くなろうとしていたし、賢い人に憧れていたけれど、受験の時に行った代ゼミの先生なんか現国の先生なのに読書が一切してこなかったし出来なかったという。それでも賢いからそこにいるのだ。

 

私は発達として最近まで知識を詰め込むことは『暗記力があっていい事』だと思っていた。日記を書いて反省して見直すこともいい心がけだと思っていた。

だけど私はその考えに捕らわれたが為にいい経験が出来なかった。

 

知識をつける事は大事な事だと思う。だけどそこから知恵をつけられなければ『読書』という経験の本質に反していると思う。

 

賢くなる事に捕らわれるよりも、嫌いな食べ物があっても、どこかへ行って見識を広めたり、実際にやってみたり、本当に勉学を自分のものにした方がいいんだな。

とその部屋を見て改めて思った。私はこの部屋が大好きでだけどこの部屋に縛り付けられていた。

 

今でも本を読むのも本屋も大好きだ。でも好き嫌いが激しいのに友達がとても多く話の面白い人を見ると、心が豊かに見えてやるせなくなる。自分の過ごした時間の無駄さを嘆いてしまう。部屋を片付けながら、残りの人生は『経験』と『学習』両方頑張ろうと思った。

 

メモとらない方が仕事できる

メモとるのやめてみたら、前より仕事出来るようになってビックリした。

 

メモとる動作って

『相手の説明を聞く』

『相手の説明を理解する』

『相手の説明に追いつくようにメモを取る』

『確認や質問をしてメモの精度を高める』

『メモを確認、暗記して理解を深める』

『メモをしてあるのを思い出す』

 

って感じで細かく分けるとこのくらい動作があるんですよね。

 

一番メモとる上で良い方法は

『絶対に忘れそうなところ(要点)だけメモする』

 

なんですけど一番いい方法は

『実際に何回もやってみる』

って感じで『動作記憶』で覚えた方が割と早々と覚えられたりするんですよ。

 

『私(僕)言われた事すぐ忘れちゃうんですよ~』

とブログで言っている人だって、ブラインドタッチでそのブログ打っているわけじゃないですか。てことは暗記できるはずなんですよ。人より遅くても。

 

だから『実際に何回もやってみる』と覚えやすくなるんです。

その方法だとメモを忘れたとしても、条件反射で思い出せたりするんです。

 

掟上今日子の備忘録 という作品の中で主人公の今日子は毎日その日の記憶を忘れちゃうんです。だから体にその日あった記憶をマジックで書いとくんですね。消えないように。でもある時その文字を消されて、昨日の事が思い出せないんです。

だけど体の記憶が残っていて得意の推理能力で昨日の記憶を思い出した、という展開があります。

 

動作記憶は、多分運動神経の部分で記憶する能力に近い気がします。(推測)

出来ないことは脳が別の部分が補ってくれるんです。

自動改札で毎日何回も繰り返していると、だんだんと見ないで改札にICカードを押せるようになったり、見ないでも十円を財布の中から取り出せるようになったりします。

 

メモをする という行為は、その記憶する行為をしなくなるという事に近いです。

繰り返しその場でメモの内容を反復するように書いたり、読んだりするならそれは『学習』ですが。

 

私は昔、メモをしないで電話番号を押して覚えていました。多分『動作記憶』で覚えていたと思います。

 

今の事業所でも先方に配慮してもらいたい内容で『メモは最後にとるのでサボっていないので気にしないでほしい』と伝えてあります。そのせいか仕事を覚えるのがどの職場よりもはやくなりました。

 

昔からそうだったのですが『地図を見ながら目的地に向かう』という行為がとても苦手でした。どうしてかというと『方向がわからなくなる』からです。

私は地図と自分の今いる位置を連動させて動く事はできません。あくまでペルソナの画面やグーグルマップのように自分の目と体の記憶でしか目的地に向かえないんです。

その時は『私は感覚で物を覚えたりすることがニガテだ』と思っていました。

 

でも私は『地図を見ない時は簡単に目的地にたどり着ける』んです。

これは駅の案内標識も同じです。私は毎日のように駅の標識で迷っています。

なぜかというと『詳細に書きすぎていてどっちの方向が正しいのか理解できない』からです。(とにかく文字がニガテらしい)

 

つまり『感覚や動作で覚えるほうが得意』という事に他なりません。

 

昔は今よりも考えて生きようとしていたように思います。

電車の中でカバンを手にもって、脇において座って、目的地について降りる。

その時にカバンを車内に忘れる。考え事をしていて、カバンの感覚を忘れ去ってしまうためです。

 

今はちゃんとカバンを持っている時は、『手がカバンを持っているな』という感覚を持ちながら電車に乗っています。(まぁそれでも乗換がわからない時はありますが、ほぼほぼ少なくなりました)

 

感覚で生きるという事は悪い事ではないです。

私は感覚といいますか『動作記憶』を伸ばすようになってから、料理も出来るようになりました。

 

仕事で大事なのは仕事の概念を知ることではなく、実際に動いて働ける方が大事

いくら『こうした方が(自分は)仕事ができるようになった』といったり、概念を学んだところで実践して成功できなければ机の上のノートで落書きしているのと変わらないんですね。

 

音声タイプ⇒相手から説明されたりするとわかる。復唱が向いている

文字タイプ⇒文字で説明されるとわかる。メモが向いている

画像タイプ⇒絵や写真や図で説明されるとわかる。案内ややっている所を見せてもらう

動作タイプ⇒実際やってみるとわかる。真似が向いている

 

4種類くらい学習タイプがあります。

多分混合タイプの人もいると思いますのでその場合は該当の学習法を全部実践してみると良いと思います。

 

私は説明する人がほぼいない職場では、メモしたのを始業前に何回も見直して覚えようとしていました。その職場の先輩は『もしかしたらメモしないほうができるタイプかもしれないからメモしないでやってみれば?』と言っていました。

中卒の年下先輩だったんですが今でも尊敬している先輩です。ありがとう先輩。